遺族会

世の中には死別によって残された遺族が集まって悲しみを分かち合う会がある。夫が亡くなって半年近くたった頃救いを求めていくつか参加した、結果は行かない方が良かったかなと思う気持ちの方が強い。

まず若くして配偶者と死別した人が圧倒的に少ない、悲しみを分かち合うってよりもお茶しに来てるって感じの高齢者が多かった。
そして配偶者だけじゃなくて親や子供、親友と死別した人達と一緒に悲しみを分かち合おうとさせられるところが多い。大切な人を亡くした悲しい想いは一緒だと思う、けど悲しみの質は全然違うと私は思うんだよね。
実際に義理の両親は生きているし悲しい想いもしてる、でも生活は変わらない、パートナーはいるし同じ悲しみを共有できる。子供が亡くなった友達がいる、悲しい想いを毎日してるし泣いてた、でも家には同じ悲しみを共有できるパートナーがいて生活はこちらも変わらない、更に2年後には新しい命が誕生してた、パートナーがいるから出来たことだね。
旦那を病気で亡くした人がいる、こちらはパートナーが亡くなってしまったから二人でやっていた事を自分一人でこなさなきゃならず生活は変わった。例え子供がいたって悲しみは共有できても生活は元通りにはできない。
生活が変わらなければ悲しみは薄れていくが生活が変わると悲しみはどんどん濃くなっていく、まさに生き地獄、これらの人達ぜーんぶ一緒にするのは違うような気がするんだよね。

そんな中救いを求めて参加したみたけどまわりとの温度差がすごくあって余計に悲しくなった、連絡先聞かれたりイラッとくること言われたりもしたし。私の印象ではもう元気な人がお茶しに行く場所って感じで主催してる人達も死別していない人が多いんじゃないかなぁ。それか死別してても若い時じゃなかったり配偶者じゃなかったり。まぁ私が思ってるだけで実際は分からないし良いところもあるのかもしれないけど、、私は2度と行く事はないかなぁ。